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平成28年度「出羽三山『生まれかわりの旅』」日本遺産認定について

 

 

 

「祝日本遺産認定」文字 

 

山形県が申請しました「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446段の石段から始まる出羽三山~」が、平成28年度の「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されました!

 

 

出羽三山『生まれかわりの旅』公式サイトはこちらから↓

 

【日本語版】

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【英語版】

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 日本遺産(Japan Heritage)とは

  「日本遺産(Japan Heritage)」とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
  ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。

 

~詳しくはこちらを御覧ください~

文化庁「日本遺産」ホームページ

 

「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446段の石段から始まる出羽三山~」について

 

構成市町

鶴岡市、西川町、庄内町

 

ストーリー

概要

  山形県の中央に位置する出羽三山の雄大な自然を背景に生まれた羽黒修験道では、羽黒山は人々の現世利益を叶える現在の山、月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる過去の山、湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す未来の山と言われます。
三山を巡ることは、江戸時代に庶民の間で『生まれかわりの旅』として広がり、地域の人々に支えられながら、日本古来の、山の自然と信仰の結び付きを今に伝えています。 羽黒山の杉並木につつまれた石段から始まるこの旅は、訪れる者に自然の霊気と自然への畏怖を感じさせ、心身を潤し明日への新たな活力を与えます。

 

 

羽黒山の石段と杉並木

羽黒山の石段と杉並木

 

月山

月山

 

湯殿山の滝行を行う御滝

湯殿山の滝行を行う御滝

 

松例祭の大松明行事

松例祭の大松明行事

 

『生まれかわりの旅』のはじまり

   出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(はぐろさん)(414m)・月山(がっさん)(1,984m)・湯殿山(ゆどのさん)(1,504m)の総称であり、月山を主峰とし羽黒山と湯殿山が連なる優美な稜線を誇ります。
   おおよそ1,400年前、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の御子(みこ)の蜂子皇子(はちこのおうじ)が開山したと言われる羽黒山は日本有数の修験道(しゅげんどう)の聖地です。修験道とは自然信仰に仏教や密教が混じり生まれた日本独特の山岳信仰です。羽黒修験道(はぐろしゅげんどう)では三山の特徴から、羽黒山は現在の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生(おうじょう)を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)と見立てられました。生きながら若々しい生命(いのち)をよみがえらせることができるというその信仰は、江戸時代に庶民の間で現在・過去・未来を巡る『生まれかわりの旅』(羽黒修験道では「三関三渡(さんかんさんど)の旅」と言う。)となって広がりました。

 

「現在の世を表す山」~羽黒山~

  羽黒山は、蜂子皇子が現在の世を生きる人々を救う仏(聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ))を祀ったと伝わり、出羽三山の中で最も低く村里に近い、人々の現世利益(げんぜりやく)を叶える山であったことから「現在の世を表す山」と言われます。
羽黒山の入り口、随神門(ずいしんもん)から山頂までの約2㎞の参道は、日本屈指の段数を誇る2,446段の石段と両側に高さと太さを競うように立つ樹齢300~500年の杉並木が続きます。参道を進むとまず、開山当時から人々を見守り続ける樹齢1,000年を超える爺(じじ)スギと、色彩を施さない素木(しらき)造りの国宝五重塔が現れ、長い年月の風雪に耐えて凜と佇む姿は、見る者の心を捉えます。そして清々しい空気と静寂の中、石段を一段一段登り進めるうちに身も心も洗われて、深く自分を見つめ直すことができます。山頂にある三神合祭殿(さんじんごうさいでん)は豪雪にも負けぬよう厚さ2.1mの茅葺(かやぶき)屋根を持ち、羽黒山の祭神とともに、雪が深く冬期間の参拝ができない月山と湯殿山の祭神を合祀(ごうし)しています。人々はここで、国家安寧(こっかあんねい)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、諸願成就(しょがんじょうじゅ)などの現在の世での願いを託すとともに『生まれかわりの旅』の成就を願い、月山、湯殿山を目指して旅を続けます。
 

「過去の世を表す山」~月山~ 

  この地域では、太古の昔から、高くそびえる山に祖先の霊が登るという信仰があります。出羽三山で一際(ひときわ)高く美しい姿を持つ月山は、「祖霊(それい)が鎮(しず)まる山」として崇(あが)められ、羽黒修験道では死後の世界は過去とみなされることから、月山は「過去の世を表す山」と言われます。
月山八合目には、極楽浄土を意味する弥陀ヶ原(みだがはら)と呼ばれる湿原があります。ここでは、高山植物が咲き乱れ、また斜面を覆う万年雪から流れてくる冷気を感じます。その先の「行者返(ぎょうじゃがえ)し」と呼ばれる急斜面や険しい岩場を越え、ようやく到達する山頂の「月山神社」に祀られる、夜を司る神(月読命(つくよみのみこと))に死後の安楽と往生を願います。よく晴れた日で下界が雲海に遮られた時、月山の山頂では突然見事な光輪が仏の御来迎(ごらいごう)のごとく現れることがあります。この神秘的な現象に遭遇した人々は、月山は過去の山という思いを一層強めました。

 

「未来の世を表す山」~湯殿山~ 

  湯殿山は、頂部(ちょうぶ)からお湯の湧き出る赤色の巨岩である御神体(ごしんたい)に新しい命を産み出す女性の神秘を重ね、全てのものを産み出す山の神(大山祗命(おおやまつみのみこと))が祀られたことから「未来の世を表す山」と言われます。
参拝者は、大自然の中で裸足(はだし)になって御神体に触れ、掌(てのひら)と足の裏に伝わる地熱の温かさを大地のエネルギーとして体の中で受け止めます。また湯殿山は、斜面が大きく崩れたむき出しの岩肌や、点在する大小の滝など野性味あふれる自然の特徴を活かし、滝行(たきぎょう)や御沢駆(おさわが)けなどの「荒行(あらぎょう)」が行われる行場(ぎょうば)でもあります。その苦しい修行は産みの苦しみを表すとも言います。湯殿山は訪れる者にまさに自然への畏怖(いふ)と圧倒的な生命力を強く感じさせるので、人々はこの山に生まれかわりを祈ります。
 

今に息づく『生まれかわりの旅』

  出羽三山を目指す人々は、山形県の内陸部と海岸部を結ぶ「六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)」と呼ばれる陸路や最上川(もがみがわ)舟運を利用し、三山周辺に点在する「八方七口(はっぽうななくち)」と呼ばれる登拝口(とはいぐち)から登りました。江戸時代、菅笠(すげがさ)と死者の衣装を意味する白装束(しろしょうぞく)をまとった参拝者の列は、笠が波打つほどに連なったと言われます。

  街道や関所、登拝口周辺には寺や賄(まかな)い小屋が建ち、宿坊街が形成されて、地域に暮らす人々は、参拝者の旅の支度を整え、もてなすことを生業(なりわい)としました。
中でも羽黒山麓(さんろく)の手向(とうげ)地区は、江戸時代には300を超す宿坊が営まれて大いに賑い、今も山伏が営む宿坊が参拝者を迎えます。山伏は、春から秋は参拝者を山に案内し、冬には東日本各地を回って出羽三山の御利益を広め、参拝者を呼び込むという活動を江戸時代から継続しています。
宿坊をはじめ、多くの民家の軒下には羽黒山の「松例祭(しょうれいさい)の大松明(おおたいまつ)行事」で使われた引き綱が魔よけとして掛けられるなど、人々の暮らしと信仰の結び付きを見ることができます。
手向の人々は、子どものころから、松例祭をはじめとする羽黒山で行われるお祭りに奉仕することや、参拝者に御祈祷(ごきとう)をしたり三山を案内する大人の姿に触れる体験を通して、山伏や三山に対する信仰を身近なものとしながら育ちます。青年期には多くの男性が「峰入(みねい)り」と呼ばれる山伏養成のための修行を重ね、山伏となって『生まれかわりの旅』を支えます。
また、宿坊でふるまわれる精進料理(しょうじんりょうり)には地元で採れた山菜が豊富に使われ、旅人の身を清め、体調を整えます。それぞれの料理には「出羽(でわ)の白山島(はくさんじま)(ごま豆腐)、月山の掛小屋(かけごや)(月山筍の油揚げ煮)、祓川(はらいがわ)のかけ橋(ふきの油煎り)」など三山の信仰にゆかりのある場所の名がつけられており、山伏が創作した食文化に触れることができます。精進料理の製法は、地元の食文化として発達し、今では家庭料理としても親しまれています。

  このように出羽三山を巡る『生まれかわりの旅』は、出羽三山信仰が日常の生活に深く根付いた地域に暮らす人々に支えられ、数百年の時を越えて今に息づいています。そして、自然の中に身を置き、自然の霊気や自然への畏怖を感じるこの旅は、訪れる者の心身を潤し、明日への新たな活力を与えます。

 

ストーリーの構成文化財一覧

 

番号

文化財の名称

指定等の状況ストーリーの中の位置付け所在地
1羽黒山未指定 羽黒山は、現在の世を生きる人々を救う仏が祀られ、出羽三山の中で里宮としての役割を持つことから「現在の世を表す山」と言われる。三山を巡る『生まれかわりの旅』の入り口。鶴岡市
2羽黒山蜂子神社市有形(建造物) 羽黒山の開祖とされる蜂子皇子を祀る神社。もとは開山堂であったが、明治7年(1874年)に蜂子神社と改めた。鶴岡市
3羽黒山の随神門未指定 羽黒山の入り口。ここから先が神域とされる石段が始まる。明治の神仏分離令以前は仁王門と呼ばれた。 鶴岡市
4羽黒山の石段未指定 羽黒山の随神門から山頂まで続く2446段、約2㎞の石段。江戸時代に羽黒山の天宥別当(てんゆうべっとう)が寄進や浄財を集めて整備したと言われる。約1時間かけてゆっくりと杉並木や五重塔を眺めながら一の坂、二の坂を登り、途中、茶屋で一休みができる。最も急峻な三の坂を越えると山頂に着く。鶴岡市
5羽黒山のスギ並木国特別天然記念物 羽黒山の随神門から山頂の三神合祭殿(さんじんごうさいでん)にいたる約2㎞の羽黒山参道の両側にならぶ杉並木。総数580数株を数える。樹勢すこぶる旺盛なこの杉並木は、江戸時代、羽黒山中興の祖といわれる天宥別当の植栽によるものと伝えられている。鶴岡市
6羽黒山の爺スギ国天然記念物 羽黒山の随神門から山頂までの参道途中にある樹齢1000年以上ともいわれる杉の古木。根周り10.5m、幹囲8.25m、高さ43mに達する。杉並木以前から生育していたもので、羽黒山で最大にして最古のものである。鶴岡市
7羽黒山五重塔国宝 承平年間(931~38)平将門の創建と伝えられ、現在の塔は応永5年(1372)頃に建立されたと言われている。屋根は日本古来の杮葺(こけらぶき)で三間五層の色彩を施さない素木(しらき)造りという伝統的な手法による全国を代表する美塔の一つ。参道の途中にあり、参拝者の誰もが足を止めて拝まずにはいられない存在。鶴岡市
8羽黒山南谷県史跡 羽黒山の石段参道を「三の坂」の手前で右折して約400m進んだところにある史跡。江戸時代に羽黒山の天宥別当(てんゆうべっとう)が壮大な客殿を造営させた。松尾芭蕉(まつおばしょう)が奥の細道行脚(あんぎゃ)の折に門人曾良(そら)と逗留(とうりゅう)して「有難や雪をかほらす南谷」、「涼しさやほの三日月の羽黒山」と羽黒の情景を歌に詠んだ。鶴岡市
9羽黒山斎館市有形(建造物) 羽黒山の石段参道の「三の坂」を登りきったところにある。もとは華蔵院といい、かつて山内には30余の坊があったが全て取り壊される中で、明治の神仏分離の際に神社の「潔斎所(けっさいじょ)」として残った。往時の山伏たちが生活した遺構として今に残る唯一の建物である。現在は、三山参拝の参籠や食事処として、また羽黒山伏による「冬の峰」の参籠所として使用される。鶴岡市
10羽黒山三神合祭殿国重文(建造物) 羽黒山山頂にある社殿。羽黒山・月山・湯殿山の三山の神々を合祭しているので三神合祭殿と称している。雪に閉ざされる月山と湯殿山の参拝・祭礼を冬期間も行えるように合祀(ごうし)している。本社は入母屋造(いりもやづくり)、茅葺(かやぶき)で、文政元年(1818)再建。本殿前の「御手洗池(みたらしいけ)」は鏡池(かがみいけ)と言われ、古くは「いけのみたま」とも呼ばれ、平安時代から銅鏡が奉納されている。鶴岡市
11月山国天然記念物 高く秀麗な姿から太古の昔より信仰を集め、「祖霊が鎮まる山」として「過去の世を表す山」と言われる。弥陀ヶ原(みだがはら)湿原、東普陀落(ひがしふだらく)、仏生池(ぶっしょういけ)など信仰にまつわる地名が残る。鶴岡市、西川町、庄内町
12月山神社未指定 月山は「祖霊が鎮まる山」として信仰され、神社に祀られる祭神は月読命(つくよみのみこと)である。古(いにしえ)は本地仏として阿弥陀如来が祀られ、いずれも死後の世界を司る神仏である。7月1日の山開きから9月15日の閉山までの短期間しか参拝することができない。8月13日に例祭(柴燈祭(さいとうさい))が行われる。月の使者とも言われる兎に因み、卯年を御縁年とする。庄内町
13湯殿山未指定 全てのものを産み出す山の神(大山祗命)が祭神として祀られ、「未来の世を表す山」と言われる。野性味あふれる自然が広がる湯殿山は、山伏が修行をする「行場」でもある。出羽三山参拝記念に建てられた「湯殿山碑」は東日本各地に数多く分布し、信仰域の広さを示す。鶴岡市
14六十里越街道未指定 出羽三山への参拝者が利用した街道。山形県の内陸部と海岸部を最短距離で結ぶ約100㎞の道。江戸中期から後期には湯殿山への参詣道として栄えた。地元住民による復元が進み、石畳や茶屋跡の石垣などが発掘されている。また、かつて参拝者を迎えた旅籠屋があった田麦俣(たむぎまた)地区や、山伏が滝行を行ったと言う「七ッ滝」が街道沿いにある。鶴岡市、西川町
15旧遠藤家住宅県有形(建造物) 六十里越街道の途中、田麦俣地区には出羽三山への参拝者を迎えた旅籠屋があった。旧遠藤家住宅は、雪深いこの地域の生活を今に伝える茅葺屋根(かやぶきやね)の寄棟兜造(よせむねかぶとづくり)の多層民家である。鶴岡市
16清川関所跡未指定 最上川舟運を利用した参拝者を迎えた関所であり、清川で舟を下り五所(ごしょ)の王子(現御諸皇子(ごしょのおうじ)神社)を拝して、鉢子(はちこ)集落から羽黒古道を経て、羽黒山に向かった。庄内町
17羽黒古道未指定 蜂子皇子が羽黒山に登った場所と言われる鉢子(はちこ)集落の登山口から羽黒山に至る古道。出羽三山を開山した蜂子皇子ゆかりの遺跡やマンサクなどの山野草が見られる。庄内町
18八方七口未指定 出羽三山周辺に点在する登拝口(とはいぐち)。寺や賄い小屋が建ち、宿坊街が形成されて参拝者を迎えた。鶴岡市、西川町
19

月山神社出羽神社

湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山神社社殿(旧日月寺本堂)

国重文

(建造物)

 登拝口の一つ「岩根沢口(いわねさわぐち)」にある、月山・羽黒山・湯殿山の三神を祀る神社。嘉慶元年(1387)後小松天皇の時代に創建。その後三度の火災に遭い、天保12年(1841)に再建。桁行(けたゆき)約65m、梁間(はりま)約22mの長大な規模の建物。宿場集落としての面影も残されている。旅人はここで祈りを捧げ三山を目指す。西川町
20本道寺跡未指定 登拝口の一つ「本道寺口(ほんどうじくち)」にある別当寺(神社の祭司や管理を行う寺)。二十数軒の宿坊があった門前集落も「本道寺」と言い、庶民信仰の証である代参塔群が見られるなど出羽三山への参詣者でにぎわった当時の面影を残す。西川町
21本道寺代参塔群未指定 参拝が困難な信者が多額の寄進を行って住職に代参を依頼する信仰形態があったことを伝えるもの。その際、寄進額の一部を使って建立されたものが代参塔。西川町 
22大日寺跡町史跡 登拝口の一つ「大井沢口(おおいさわぐち)」の別当寺。西川町大井沢集落にその跡を残す。「大井沢口」の中興の祖である道智上人(どうちしょうにん)が大日寺に至る道智道と呼ばれる行者道(ぎょうじゃみち)を整備したことから、関東、福島、置賜方面からの参拝者でにぎわった。西川町
23大日寺代参塔群町史跡 参拝が困難な信者が多額の寄進を行って住職に代参を依頼する信仰形態があったことを伝えるもの。その際、寄進額の一部を使って建立されたものが代参塔。西川町
24大日坊仁王門県有形(建造物) 登拝口の一つ「大網口(おおあみくち)」の別当寺である大日坊の仁王門。仁王門をくぐり大日坊にお参りしてから山に登る。大日坊は湯殿山行者の修行道場として繁栄した寺で、即身仏を安置している。鶴岡市
25大日坊の皇壇スギ県天然記念物登拝口の一つ「大網(おおあみ)口(くち)」の大日坊の旧境内にそびえたつ杉の巨木。根周り約8m、幹囲約6m、高さ27m、推定樹齢1800年。湯殿山へ向かう参詣道「六十里越街道」の要所にあり、修験者はこの杉に手をあわせ、修行の成就を祈る。鶴岡市
26注連寺 七五三掛桜市天然記念物 登拝口の一つ「七五三掛口(しめかけくち)」にある注連寺の境内に咲く樹齢約200年のカスミザクラ。湯殿山の御縁年の丑年にはひとりでに注連(しめ)が掛かるという伝説がある。弘法大師がこの樹の下で修行したと言われる。花弁の色が咲き始めは白く、散り際になると深い桃色へと変化する神秘的な魅力があり、参拝者の目を楽しませる。注連寺は湯殿山行者の修行道場として繁栄した寺で、即身仏を安置している。鶴岡市 
27手向の宿坊街

鶴岡市歴史的

風致維持向上

計画重点区域

 出羽三山への参詣者のための宿坊街の一つ。かつては宿坊数336坊を誇った。明治時代の神仏分離政策以降に坊数は減少して現在は30数件となったが、昔と変わらぬ活動を続けており、往年の宿坊街の面影をよく残している。山伏が経営する宿坊では、参拝者に参拝の手順を教え、登拝の先達(せんだつ)役となる。三山独特の精進料理を継承し提供している。鶴岡市
28羽黒山正善院黄金堂国重文(建造物) 羽黒山の門前町、手向地区にある山伏の修行の場。古くは羽黒山頂の大金堂(だいこんどう)(現在の三神合祭殿)に対し、麓の「小金堂(しょうこんどう)」と呼ばれた。また、明治時代の神仏分離政策の際、大金堂の三尊像(聖観世音菩薩(せいかんぜおんぼさつ)、阿弥陀如来、大日如来)は、正善院於竹(おたけ)大日堂(だいにちどう)に遷座された。於竹(おたけ)大日如来(だいにちにょらい)は、江戸と出羽国を行き来する山伏による出開帳(でかいちょう)などで広められ、江戸庶民を出羽三山に呼び込んだ。鶴岡市
29松例祭の大松明行事国無形民俗 松例祭は、地元の手向地区から選ばれた「松聖(まつひじり)」とよばれる2名の長老山伏が主役の祭りで、「冬の峰」100日間の修行で得た験力が試される祭りでもある。「大松明行事」は、開祖蜂子皇子が悪鬼を退治して疫病を鎮めたという故事に由来する。悪鬼に見立てた大松明に放たれた火が柱のように立ち上り、宵闇を染めていく様は幻想的でもあり、こうして災厄は焼きつくされ山頂は新しい年を迎える。鶴岡市
30羽黒山の峰入り未指定 「峰入り」は、開祖蜂子皇子(はちこのおうじ)の修行をたどる羽黒山伏の修行。「夏の峰」は三山を駆ける夏山登拝を意味する。「秋の峰」は、山伏養成を目的として約1週間の山籠りを中心とする修行を行うなど、日本で唯一本来の山伏修行の形を伝えると言われる。「冬の峰」は100日間の参籠修行で、100日目の満願の日にあたる大晦日に羽黒山山頂で毎年行われる「松例祭」では、修行で得た験力(げんりき)を披露する。羽黒山では今もなお、多くの修験者が修行し、出羽三山神社「秋の峰」には約150名が、1993年、開山1400年を機に女性を対象として創設された「神子(みこ)修行道場」という山伏修行には毎年60~70名が参加している。鶴岡市
31出羽三山の精進料理未指定 出羽三山の精進料理は、月山などの奥深い山で生活するために「生きるための食」として山伏が創作し継承されている。必要な食材を山の恵みとして採集し、食材の乏しい厳しい冬を乗り越えるために、あく抜きや水煮といった時間と手間のかかる調理方法や保存技術が編み出された。出羽三山に参拝する者は、精進料理をいただいて身を清め、山へ向かう準備を整える。鶴岡市

 

  

 

構成文化財①

 

構成文化財②

 

構成文化財③

 

構成文化財④

 

構成文化財⑤

 

構成文化財⑥

 

 

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  • 2016-04-18作成

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