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遊佐刺し子

 

いま、山形から・・・ めんこいやまがた ここにあり! 一針一針に思いを込めて 遊佐刺し子(遊佐町)
(平成29年3月3日掲載)

 津軽のこぎん刺し、南部菱刺しと並び、日本三大刺し子といわれる庄内刺し子。なかでも遊佐町に伝わる刺し子は江戸末期には作られていたと伝えられ、独自の刺し方が、「橇曳そりひ法被はっぴ」と呼ばれる特別な衣装に残されています。一度は廃れそうになった刺し子を調査し、刺し方を研究する女性たちにより、遊佐刺し子は新しい形でよみがえったのです。


 

地元なのにわからない

 「よみがえり」のきっかけとなったのは、意外にも海外での遊佐刺し子との出会いでした。

パッチワーク教室を開いていた土門玲子さんは、2001年(平成13年)、遊佐町の取組みとして「ジャパン・フェスティバル IN イギリス 2001」に協力しました。その縁もあり、2003年(平成15年)には、佐藤いづみさんから英語の翻訳などの協力を得て、イギリスのバーミンガムで遊佐刺し子のワークショップを行うことになったのです。遊佐刺し子は、海外の女性たちから驚くほどの人気で迎えられました。「出会い」はそのとき訪れます。渡英中、同行したパッチワーク教室のメンバーの池田ちゑさん、桜庭あい子さんと共に、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館を訪れると、明治時代の刺し子が収蔵されていたのです。その法被に見覚えのある、縦長の柿の花刺しがあるのを見て、「この刺し方は、遊佐町独自のものなのではないか。確かめるためには遊佐の刺し子について、もっと知らなければならない」との思いを強くし、帰国後、地元での聞き取り調査を始めたのです。

「遊佐刺し子とその歴史」研究会のみなさん

 当時、遊佐町で橇曳き法被のことを知っているのは、すでに80歳代以上の方になっていました。調査を始める前には、「泥だらけで蔵にぶらさがっている」「汚いから燃やしてしまった」「橇曳き法被というものがあって、東京の収集家の間では何度もブームになっているらしい」など断片的な情報が伝わっているだけになってしまっていたのです。

 土門さんたちの他に、地元の女性たちやイギリス人英語教師だったスーザン・ブリスコさんなどがメンバーに加わり、遊佐刺し子についての聞き取り調査を進めました。調べ始めると、「うちにも残っているよ」と橇曳き法被の実物を貸してもらえるようになり、写真を撮ってサイズを測り、刺し方を調べ台帳を作って整理していきました。


 

橇木山(そりぎやま)と橇曳き法被(そりひきはっぴ)

 遊佐刺し子の誕生は、遊佐町の地域の方々の暮らしと密接に結びついています。

 遊佐町では、昭和30年代まで、暮らしの必需品であった薪を鳥海山の裾野から橇で運び下ろす「橇木山」が行われていました。夏から秋にかけ、必要な量の薪を山で切り出し、長さを揃えて積み上げておきます。そして、十分に積った雪がかたまる2月。橇を持って山へ入り、薪をのせて下ろすのです。この時に着た作業着が「橇曳き法被」です。

メンバーが収集した橇曳き法被

 藍染めの木綿や麻に、木綿の糸で模様を刺すことによって、風を通さず、ちょっとした雨はしのげる丈夫な着物になります。袖なしで、軽くて動きやすく、山の仕事になくてはならないものでした。

 橇木山で重い橇を引っ張ると、肩から胸、反対側の脇の下までが擦れてしまいます。そのため、橇曳き法被の肩の部分には2枚重ねの布に刺し子をし、重ねて縫い付け、袖なしの身頃(体の前面・背面を覆う部分)の上にも、布を2枚重ねて刺し子をした胸当てが付いています。

古い橇曳き法被


 

 橇木山は突然起こる吹雪で、視界を遮られ、谷に落ちたり、木立などに追突することもある命がけの危険な作業でした。アイルランドのアラン模様のセーター(漁師が着用するフィッシャーマンセーターとして世界的に知られる)と同じように、一人ひとり異なる法被の刺し子模様が身元確認の決め手となることもあったそうです。

「糸は針目の分しか出さないのが遊佐刺し子だよ」と土門さん。


 

遊佐刺し子の特徴

 さらに調べていくと、遊佐刺し子は、一番古いものでは200年位前のものもあるといわれ、また、刺し方に特徴があることがわかってきました。遊佐刺し子には設計図となる図面などがなく、生地の織り目を数えることなく、自分の針目の大きさで、一目ずつ刺す「横刺し」という技法で、文様を刺していくのです。

(上左)蝶刺しは遊佐独自の文様。多彩なバリエーションがあります。 (上右)刈り取った後の稲株を表した、草刺し (下左)竹と竹の葉を表した、竹刺し (下右)縦長が特徴である、遊佐の柿の花刺し

 自分の針目だけで模様を刺すのは難しいように思われますが、慣れてしまえば自由に自分だけの文様を作ることができるのだそうです。調査によって再現された文様は156種と数も多く、稲を刈り取った後の稲株を表した「草刺し」、五穀豊穣を願う「米刺し」、優雅に舞う「蝶刺し」など、他の地域にはない刺し方の独自の文様も見つかりました。


 

遊佐刺し子を未来の女性たちへ
菱・亀甲抜き刺しをニードルケースに


 

 遊佐刺し子の歴史と文化を調べてきたメンバーは、2006年(平成18年)に「遊佐刺し子とその歴史」研究会を結成。歴史や文様をまとめた本を出版し、大きな反響を呼びました。そして現在は刺し子の技術指導と商品製作のためのスクールを開設したりと活動の幅を広げています。

遊佐刺し子の特徴、そろばん刺しを施したポーチ


 

 スクールでは遊佐刺し子の150種類の刺し方を習得し、バッグ・袋物・ベスト・茶羽織などのカリキュラムを経て、遊佐刺し子スクールの「普通科・高等科」の修了証を受けとることができます。その後インストラクターコースに進み、さらに希望者には(公)日本手芸作家連合会から講師資格を取得出来るコースがあります。

 また、昨年はウェールズのマールバンで行われたキルトフェスティバルUKに参加し、地元の女性たちと交流を深めるなど、国際的な活動も展開しています。

 このような活動により、よみがえった遊佐刺し子は、着実に未来の女性たちに受け継がれているのです。

たくさんの刺し子文様をつないだ作品

 最後に佐藤いづみさんに伺いました。「遊佐町内で行った聞き取り調査の中で皆さんが語ってくれたのは、刺し子も橇木山の作業も、80代以上の彼ら彼女たちには、若かったころの、人生のこの上なく楽しかった一コマだった、という話ばかり。厳冬のさなかの重労働であり、苦しいこともたくさんあったといいますが、彼ら彼女らは笑い飛ばすのです。いまはもう苦しさは過去のこととして忘れさり、作業の合間の休憩時間に、みんなで一緒になってふきどれ餅(焼いて、湯にくぐし、黒砂糖を混ぜた黄粉をまぶしたもの)を食べたことなど、楽しい思い出ばかりになっています。そんな暮らしの中から生まれたのが、さまざまな文様と橇曳き法被です。逞しく力いっぱいに日々を過ごしていた『暮らしの充実感』が垣間見れるからこそ、私は遊佐刺し子の橇曳き法被や足当てなどが好きなんだなあと、改めて思います。」

 かつて、橇木山に出る人を思いつつ悲喜こもごもの思いを込めて、そして、現在、伝統を未来へと受け継いでいきたいという強い思いをのせて、一針一針刺される遊佐刺し子。皆さんも、そんな遊佐刺し子の世界に触れて見てはいかがでしょうか。

驚きの丸い刺し子!土門玲子さんの作品


 

伝承遊佐刺し子展 針と糸でつむぐ技

日時:平成29年3月8日(水)~12日(日)10:00~17:00(最終日のみ16:00まで))
会場:山形市民会館会議室・展示ホール
※8日~11日まで毎時、遊佐刺し子でペンケースを作る体験教室を開きます。
 希望者は受付にお申し込みください。(所要時間は約2時間。材料費2,000円)


 

民藝講演会「人と人のきずな 地域の智恵」

日時:平成29年3月11日(土)13:30より
会場:山形市民会館小ホール
講演者:小田島建男氏(元遊佐町教育長)


 

取材協力・お問い合わせ

LLP遊佐刺し子ギルド・Re-Mingei 手仕事プロジェクト
「遊佐刺し子とその歴史」研究会 土門 TEL.0234-72-2238

伝承遊佐刺し子展 針と糸でつむぐ技
お問合せ先:山形市民会館 TEL.023-642-3121

商品販売
鳥海温泉「遊楽里」 TEL.0234-77-3711


 


 

 


 

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  • 平成29年3月3日掲載

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