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封人の家と分水嶺

いま、山形から・・・ 山形漫歩 芭蕉が出会った民情と風物を感じて 封人(ほうじん)の家と分水嶺(ぶんすいれい)(最上町)
(平成28年6月17日掲載)

 宮城県との県境にある堂々たる茅葺き屋根の大型の古民家。ここに 逗留とうりゅう したといわれている俳聖・松尾芭蕉は『おくのほそ道』に「封人(国境を守る人)の家」と記しました。すぐそばにある、ひとつの水路が太平洋と日本海に分かれ流れる「堺田分水嶺」とともにご紹介します。


芭蕉が逗留したといわれている封人の家
松尾芭蕉が逗留したとされる中座敷

 山形・宮城県境の最上町堺田地区。国道47号を進むと、やがて重厚な茅葺き屋根の古民家が姿を現し、一瞬、タイムスリップしたかのような想いにとらわれます。旧有路家住宅(通称「封人の家」)。建物の様式や技法から300年以上の歴史があると推定され、重要文化財に指定されています。熱心な馬産家でもあった堺田村の庄屋・有路家の住居で、仙台藩と新庄藩の国境にあり、今で言えば村役場や旅館のような役割も担っていました。元禄二(1689)年に松尾芭蕉がここに逗留したといわれ、『おくのほそ道』に「封人の家」と記したことから、現在は広くこの呼び名で知られています。


曲がったままの松の木を使った梁
床の間と直角な板張りの「床刺し天井」など、現在では見られない建築が随所に。

 この建物は、昭和44年に重要文化財に指定されるまで有路家の住居として使われていましたが、文化財になったことを機に、昭和46〜48年にかけて解体復元工事が行われ、建築当初の姿に復元されました。

 「小屋組は、くぎを使わず、木と木を組み合わせて縄でくくるだけの昔ながらの建築方法になっています。梁にしている松の木は曲がったままのものをそのまま使っているんですよ」と語るのは、地元 最上町生まれで、封人の家 管理人の中鉢さん。「皆さん驚かれるのですが、芭蕉が逗留したとされている建物で現存しているものは全国でもここが『唯一』ともいわれているようです。芭蕉が宿泊したといわれている当時のままの囲炉裏端に静かに腰かけ、往時を偲ぶ、というのは、ロマンがありますよね」。しんとした雰囲気に感慨がいっそう深まります。


馬とともにある暮らし
当時の馬屋や人々の生活の様子が再現されています。

 最上町は、かつては山形県内随一の馬産地。この地で育てられた雄馬は、当時の地名を冠し「 小国おぐにごま 」と呼ばれ、江戸や遠くは越前地方にも移出されたそうです。明治25年には軍馬の購買地に指定され、昭和19年までの53年間に836頭の小国馬が軍馬として買われていきました。「このあたりは、冬は相当雪深く、寒さも厳しいため、馬が寒くないように、またいつでも馬の安全が確認できるようにと、馬屋も人の住居の中に一緒になっていました。馬の餌にはヒエを煮たものなどを与えていたそうで、それはそれは大切に育てられていたそうですよ。餌を煮る馬専用のかまどもあるほどです。」と中鉢さん。


<ruby><rb>蚤虱</rb><rp>(</rp><rt>のみしらみ</rt><rp>)</rp></ruby> 馬の<ruby><rb>尿</rb><rp>(</rp><rt>ばり</rt><rp>)</rp></ruby>する 枕もと
平面図。馬屋と中座敷はだいぶ離れている。
馬頭観音以前から馬の守護神として信仰されていた「馬櫪神ばれきじん」。旧有路家住宅の敷地内にあります。

 ノミ、シラミ、それに馬のおしっこ…。一風変わったこちらの句をご存知ですか? これは封人の家逗留の印象を松尾芭蕉が詠んだ句です。なんだか汚いような言葉が並んでいて、一見すると芭蕉がこの場所で、ひどい扱いを受けたのでは、というイメージを抱いてしまいます。しかし、賓客待遇の芭蕉が実際に逗留した部屋は、馬屋から土間といろりを挟んだ中座敷と言われていて、「枕もと」と言うには少し離れているようです。

封人の家から車で10分ほどの富山馬頭観音。馬産地であった最上町には馬頭観音をまつる石碑も数多くあります。

 「芭蕉は、その地域の土地柄や情景を句にして詠んだと言います。簡単に言えば民俗学者と同じです。ですので、私は、この句はけっして芭蕉自身がひどい目にあったという意味ではなく、馬屋が家の中にあり、馬が家族同様に住み、大切に飼われていたという、この地域の土地柄を表したものだ、と思っています。」と中鉢さんは語ります。


時をこえた、おもてなしの心

 ここまで様々なお話を聞かせていただいた中鉢さん。こちらでは、中鉢さんによる詳しい解説を聞きながら、お茶でのおもてなしを受けることもできます。鉄瓶に入れ、囲炉裏火で井戸水を沸かした湯でいれたお茶は、とてもまろやかな味わいです。

お茶でおもてなし。会話も楽しい管理人の中鉢さん

 「ここには、松尾芭蕉が好きな方はもちろん、70歳代以上でこの建物に懐かしさを覚えて訪れる方もいらっしゃいます。全国各地、ときには外国からもお客様がいらっしゃいますので、付近の宿泊先や観光地についての質問も多いんです。芭蕉のこと、当時の生活のことを解説するために勉強しましたが、それだけではなく、山形県のことを広く知って、訪れた方に満足してもらえるように日々頑張っています」。

 客人へのおもてなしの心は、時代をこえていまに受け継がれているようです。


全国でも珍しい集落内の分水嶺
堺田分水嶺。水脈が東西に分かれ日本海と太平洋に。

 封人の家からちょっと足を伸ばして、徒歩4分ほどの場所には「堺田分水嶺広場」があります。「分水嶺」とはあまり聞き馴染みのない言葉ですが、地上に降った雨が二つ以上の水系に分かれる尾根のこと。堺田分水嶺で分かれた水脈は、西側(山形県側)は小国川、最上川を経て102kmを下り山形県酒田市の日本海へ、東側(宮城県側)は江合川、旧北上川を経て116kmを下り宮城県石巻市の太平洋へ注ぎます。分水嶺自体は、珍しいものではありませんが、多くは山岳の稜線など立ち入りが難しい場所にあり、この分水嶺のように平坦な場所にあり、気軽に見ることができるものは全国的にも珍しいのです。芭蕉もここの清涼な水に触れてみたのでしょうか…。

分水嶺や重文 旧有路家住宅(通称「封人の家」)周辺には、のどかな景色が広がります。

 堺田分水嶺広場はJR堺田駅の目の前。電車で訪れ、封人の家とあわせて付近を散策するのもおすすめです。

 松尾芭蕉が封人の家にたどりついたのはちょうどこれからの時期、新暦の7月1日だといわれています。芭蕉と同じように、県境の封人の家を起点に初夏の山形路を巡ってみてはいかがでしょうか。


重要文化財 旧有路家住宅 (通称「 封人ほうじんの家」)

観覧料 高校生以上250円、小・中学生120円
時間 8:30〜17:00 ※入館は16:30まで(11月は入館15:30まで)
公開期間 4月〜11月 ※冬季は閉鎖


取材協力・お問い合わせ

最上町教育委員会 tel.0233-43-2111
封人の家管理事務所 tel.0233-45-2397



 

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  • 平成28年6月17日掲載

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