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作家 角田光代さん

いま、山形から・・・ 寄稿このひと 作家 角田光代さん
(平成28年4月1日掲載)

縁というもの

 それまでまったく縁がなかったのに、一度訪ねたことで縁ができる場所というものがある。私にとって山形はそういう場所だ。

 関東で生まれ育ち、現在東京で暮らす私は、ほとんど国外旅行をしたことがないまま、三十代になった。山形にもいったことがなく、どんなところなのかも、何が有名なのかも、寒いのか暑いのかも、知らなかった。はじめて訪れたのは二〇〇七年だ。テレビ番組の取材で庄内地方を訪れた。夏で、暑さに驚いた。あまりの暑さに飛んでいた雀が落ちてくることがあるという話を地元の人に聞いて、さらに驚いた。羽黒山にのぼり、森敦の『月山』を読みつつ注連寺に泊まった。最終日は曇りで、月山の姿を映像におさめることができず、注連寺で天気待ちをした。和室の窓から雲に覆われた月山を私たちはずっと見ていた。今思い出すと、本当は見えなかった月山が、曇り空の向こうからあらわれてくる。

 その後、池上冬樹さんがかかわっている小説講座に毎年一回参加させてもらうようになった。こちらは山形市。はじめて参加したのが三月で、あまりに寒いので意外に思った。これがあのとんでもなく暑かった山形と同じ山形なのかと、その気温差に驚いた。

 ここ最近は、シベールアリーナでも毎年のように呼んでくれるようになり、年に二回は山形に向かうことになった。最初に知ったのは夏の山形だったが、訪れる機会が増えるにしたがって、積雪の、桜の、新緑の、紅葉の山形と、次々に異なる顔を知ることになった。山形の季節の移り変わりは、視覚的に劇的に変わる。薄淡い桃色に染まったり、叫ぶような黄金に変わったりする。はっきりと目に見える季節の前で、いつも私は息を呑み見とれてしまう。

 酒田にもいった。ライブを見るためにいったのである。ライブがはじまるまですることがなく、延々と歩いてラーメンを食べにいった。ラーメンを食べて、また延々と歩いて市場にいった。季節はいつだったのかまるで思い出せないけれど、曇り空だったことは覚えている。延々歩きながら、天気待ちをして窓の外を見ていた時間を思い出していた。気持ちがゆっくりほぐれていく感じが、とても似ていたからである。

 そればかりではない、注連寺で感じた時間も、酒田を歩いた時間も、シベールアリーナの控え室から窓の外を眺めている時間も、霞城公園をランニングしている時間も、季節は違えど私のなかでひどく似通っている。のどかで、こちらの気持ちを沈静化する作用があるのだ。

 しかしながら、こうして縁ができても、山形については知らないことばかりだ。山形市での講座が行われる日に、酒田でまた好きなミュージシャンのライブがあることを知り、講座が終わったらいってみようといきかたを調べたら、速くて二時間半から三時間かかると知って、誇張ではなく驚愕した。そんなに広かったのか。もちろんライブはあきらめた。

 これからも知っていくことがたくさんあるのだろう。知っていくことが、つまり縁だ。今年は五月と九月に山形にいくことになっている。季節を見るのも、何かをあらたに知るのも、たのしみである。

 

プロフィール

角田 光代 かくた みつよ さん:作家 1967年 神奈川県生まれ。
90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞を受賞する。そのあとも「ロック母」(川端康成文学賞)『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)『ツリーハウス』(伊藤整文芸賞)『紙の月』(柴田錬三郎賞)『かなたの子』(泉鏡花文学賞)と受賞作が続く。小説のほかに旅のエッセイや書評集もある。松本清張賞、山本周五郎賞、すばる文学賞、小説現代長編新人賞などの選考委員を務める。


 

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  • 平成28年4月1日掲載

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