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最優秀賞・高

高校生・一般部門 最優秀賞

  

コミュニケーション
山形県立東桜学館高等学校 3年
青柳 春咲
 
 私には祖父がいます。私が小さいころから家の力仕事はもちろん、学校の送り迎えなどいつも私達のために頑張ってくれていました。少し心配性なところがありましたが、とても優しく、冗談を言って笑わせてくれるほど明るい性格でした。
 
 私が高校生になったころ祖父は少し耳が遠くなったものの、これといって変わったことはなく、いつも通り私を学校に送り、祖母と一緒に畑仕事をして、夕方になったら仕事を止め、迎えにきてくれるという私を第一に考えた生活を送ってくれていました。
 
 そんな元気な祖父が昨年の秋「障がい者」になりました。重度の脳梗塞でした。普段の祖父の姿からは想像できない出来事で病気の恐ろしさを感じました。一時は危険な時もありましたが、病院の方の懸命な処置と祖父の頑張りでリハビリ病棟に来れるほどに良くなりました。少しでも元気になってもらおうと毎日病院に行き、たくさん話をしました。そこからの祖父の回復は、私たちだけではなく医師や看護師の方も驚くほどでした。
 
 前のように畑仕事をしたり、送り迎えはできなくなりましたが、元気になってくれるだけでとてもうれしかったです。後遺症として理解力の低下は避けられないということでしたが、気にしていませんでした。
 
 入院してから半年が経ち、多くのことを一人でできるようになりました。待ちに待った退院の日、私はうきうきしながら家に帰りました。そこには、やせ細ったものの前のようにやさしく冗談を言う祖父の姿がありました。
その日食べたご飯は格別おいしく感じました。
 不自由ながらも家での生活に慣れてきたある日、「俺もう死ぬんだは」と祖父が言い出しました。とても驚きましたが、冗談を言うほど明るい祖父がそのようなことを言うには理由があると思い、様子を伺うことにしました。
 
 まず、祖父の表情を見ました。その顔は険しいものではなく、少し困っているような顔でした。また、その言葉を言うときは決まって自分の思い通りにならないとき、自分にイライラしている時だということが分かりました。次に、自分には何ができるだろうと思い、家族の接し方を観察することにしました。
家族はその言葉を言ったとき、すかさず「どうしたの」と声をかけ、祖父が何に困っているのかを真剣に聞いていました。その時の祖父はいつも通りの祖父になっていました。
 このことから、その言葉は祖父なりのコミュニケーションのとり方なのだと分かりました。これは祖父と深く関わっていないとかけられない言葉であり、家族のことを誇らしく思いました。
 
 上手く言葉にできていなくても言いたいことは読みとることができます。表情からでも感情は読みとることができます。これを私は「障がい」という言葉で片づけ深く考えること、接することを避けてきたのだと思いました。これらの出来事があったため、私はある人の言葉がとても印象に残っています。それは、高校三年生での看護体験で看護師の方に教えていただいた事です。
 
「患者さんとの短いコミュニケーションの中でどれだけ多くの患者さんの情報を得られるかが大切」
 
 この言葉を聞いたとき、祖父のことを思い出しました。自分は祖父のことをきちんと分かっているのか、とても不安になりました。これを学んでからは、五感を使い、心を使い、祖父が何を伝えたいのか、どういう状態で、どういう気持ちでいるのかを少しでもくみとろうとし始めました。家族のようにはまだなれないけれど、この行動や考えることは決して無駄ではないと思います。
 
 それからは、徐々に祖父は別の言葉を言うようになりました。それは、「俺幸せだ」という言葉です。その言葉を聞いたとき、これ以上なくうれしかったです。大変な経験をしたからこそ重みのある言葉です。この言葉を聞くために今日も私は祖父に話しかけます。 

 


 

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